梅若研能会とは
梅若研能会の前身である梅若万三郎家の歴史はおよそ600年に遡ります。発祥には諸説ありますが、左大臣橘諸兄を祖とします。
初世万三郎は、五十三世実の長男ですが弟の六郎に本家を譲り、現在の万三郎家を起こしました。
昭和3年に1月に研能会を設立し、以降昭和19年戦争激化のため休会するまで、演能回数は155回を数えます。
昭和21年染井の松平家舞台で再開し、以後今日まで毎月公演を継続しております。昭和49年10月に財団法人に改組し、
平成24年4月内閣府の認定を受けて公益財団法人となっております。
梅若研能会の一年は、梅若発祥の地、丹波篠山の春日神社で、
元旦零時より行われる「翁」に始まります。
東京渋谷の国立能楽堂・セルリアン能楽堂・観世能楽堂で例会が催されます。 外国のお客様にも安心してご来場頂けるように、定例会では英語の解説を無料配布しております。
夏は薪能の季節です。薪能は、夜間篝火の明かりを頼りに野外で演じられます。
広い境内で行われる増上寺薪能、足利薪能の他、水上特設舞台で行われる伊東松川薪能など場所柄を生かした演出が試みられています。
同じ能楽師とはいえ、個人によって能への思いは様々です。例会が均等に与えられる修業の機会であるとしたら、
別会はそれぞれの意志による、それぞれが追い求めるもののためにある会といえるでしょう。
春と秋に開かれる「橘香会」、「梅若万三郎の会」を始めとして、研能会所属者の別会が折々に催されています。
個人が充たされることによってはじめて、研能会も魅力ある団体となるでしょう。
梅若研能会は東京都内で開かれる月例公演や別会公演の他にも、
優れた舞台を東京以外の地や、海外に紹介する事業をいたしております。
その為、皆様のすぐ傍で、能を上演致したく考えております。
能はふつう「能楽堂」という定まった空間で上演されます。
しかしそれは近年のこと。昔は芝生や土の上でさえ舞われた事もあります。
そんな能のエネルギーを甦生させる為にも、またいろいろな形で多くの
方々と新しく出会う為にも、研能会は会場を限定いたしません。
今日、地方・海外公演のほとんどは、寺社の境内や多目的ホールなどに
仮設された能舞台で上演され成功をおさめています。
空間は無限であり、そこで演じられる能は、舞台構造や言葉の違いを
超えて、皆さんの心にダイレクトに訴えかけられる、と信じています。
それは、能が六百年間以上の歳月を生き続け、さらに現代ではもっとも
前衛的で、もっとも歴史のある演劇として海外からも注目されている事実
からもおわかり戴けると推察いたします。
どんな事でもお気軽にご相談下さい。
それによって、皆様と私ども研能会との出会いの瞬間が、永遠の美との
出会いに変わることでしょう。
1967年 第一回「日本能楽団」(団長:二世梅若万三郎)欧州公演をはじめ、
1975年 イラン・スイス・ユーゴスラビア・西ドイツ公演、
1985年 移民百年祭増上寺薪能ハワイ公演、
1989年 ユーロパリアジャパン公演、
1991年 能楽界初のモスクワ公演、
1999年 ドイツにおける 日本年・ベルリン公演、
2000年 ドイツ・オランダ・スロバキア公演など、
2003年現在、海外公演は個人参加を含めて二十数回、訪れた国は
ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸、中近東など21ヶ国に及んでいます。
海外公演以外にもフランスで舞踏家・俳優を対象とした能の講習会、
イタリア・ボローニャ大学での能の講演、デモンストレーション公演などを
1996年 以来、ほぼ毎年行って参りました。
2019年 ドイツ、スイスの4都市において「ZWISCHEN TRAUM UND WIRKLICHKEIT(夢と覚醒の間)」と名付けられた公演が企画され
梅若研能会にとっては14年ぶりとなる海外公演が実現致しました。
今日盛んに行われている地方公演。
定期的に催される立川能・舘山能・栃木能・足利薪能・静岡掛川薪能
などの他にも、関東近郊をはじめ様々な地域で能楽堂・薪能・
ホール能公演やデモンストレーション公演を行っております。
公演情報一覧
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